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ギャラリー茶房 『エスカルゴ』
Gallery−Escargot!  ご案内と留守番役は、ごくふつうのおばさま「くるみ」さん。 お客様同士の会話をお楽しみ頂けますよう、喫茶コーナーも開いています。
ハイジのアイスクリームのよう、、、 
【2008/02/11 Mon 18:42】
 アイスクリームよりも、アイスキャンディーが主流だった子供の頃、冷菓といえば夏のものと決まっていました。
 私のふるさとは雪国北陸です。 祖母はあたり一面雪景色になると、決まってアイスクリームを作ってくれました。 家畜として飼っていたヤギの乳を使い、“アルプスの少女ハイジ”の世界を思わせるようなアイスクリームを手作りする祖母は、明治時代最期の生まれでした。

「何処で習ってきたのでしょうか?」

 今思えば、田舎のおばあさんにしてはハイカラさんだったのかもしれません
 このアイスクリームの材料は、絞りたてのヤギの乳と生みたての卵、そして砂糖と塩だけです。 私たちが今作るときに並ぶ材料、生クリームも、風味を演出するバニラなどの香料も一切使いませんでした。 キャラメルのあの甘い香りには縁のない、さっぱり風味の素朴なアイスクリームでした。
 祖母は、材料の入った金製のボウルを塩をまいた雪のくぼみに入れ、ひたすらかき回すのです。 材料の固まり具合を見ながら、静かに混ぜていきます。 周りから少しずつ固まるとまた混ぜる、その繰り返しを、私は寒さも時間の長さもわすれて祖母の傍で見ていたものです。 限りなく原始的な作り方のこのアイスクリームは、祖母のお気に入りのおやつでもあったようです。 少しざらつきのある舌触り(シャーベットに近いかしら?)、ほんのり独特の草の香りの残ったアイスクリームは、冬のおやつの中で“ごちそう的”存在でした。

「ところで、今おきにいりのアイスクリームは、、、」

 私は今、バニラアイスクリームに少量の赤ワインをかけて楽しんでいます。 この姿は、食事を楽しむことにこだわる友人に教わった食べ方なのです。 後味すっきりのこの味は、ついつい食べ過ぎてしまいますが、赤ワインのあるときはもっぱらこの姿です。
 
 今でも雪を見ながらのアイスクリームは、やさしい祖母の味を思い出させます。 

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テーマ:美味なるもの - ジャンル:グルメ

ちちんぷいぷい、、、 
【2008/01/26 Sat 23:12】
 白磁の肌に藍色の絵模様が特徴の砥部焼。 その窯元の「初窯開き」の番組を見ていた時の事です。 ロクロを廻す姿から絵付けの場面にカメラが移動した時のこと、湯飲み茶碗に書かれた文字(絵)が映し出されました。 それは「馬」の絵(頭が右で、尻尾が左)と「馬」の文字の『鏡文字』でした。 これは「左馬(hidariuma)」と言い、茶碗に描いて焼くと窯の火力が盛んになり、さらにその茶碗でご飯を食べると1年間の無病息災が叶うと、伝えられているものです。

 「無病息災」?と言う4文字から、私は、祖父の“おまじない”文字を思い出しました。 それは、「ものもらい」の症状を軽くするために書かれた文字「左馬」です。 
その昔、近所の「ものもらい患者」(田舎では“めもらい”と言った)は、なぜかよく祖父を訪ねて来ました。 祖父は平然と“患者?”の対応をしました。 
「はい、少し待って」
と、“患者”を待たせ、チョウバに入ります。 
 チョウバ=祖父の書斎。帳場?なぜか祖父は、商売所ではないのに、この呼び方をしていました。 出てきた祖父の手には細筆が一本。 “患者”は左手を差し出します。 祖父は差し出された左手親指の爪に、薄墨でこの「左馬」の文字を書いていました。 そのあとは、呪文を唱えるわけでもなく、神仏に祈るわけでもなく、空を仰ぐ事もしないのです。 現在のネイルアートのように、ただ、爪に文字を書くだけなのです。 文字の書かれた親指を大事に懐に抱えて帰る患者の姿を、私は何人も見送った記憶があります。

 「左馬まじない文字」のみならず、さらに祖父は、自分で水虫の薬を作ったり(サルチル酸の効いたそれは刺激的なものでした)、しもやけの特効薬だと、にんにくをドラキュラ除けのように塗ったものです。
「あの墨には何か秘密があるに違いない・・・」
 私は、きっと「ものもらい」の特効薬が混ざっているのだと思っていました。

 ドライバー、ヤットコ、ニッパーなどの工具類、ピカピカ光るラジオの部品など、私にとって興味津々な物、不思議な物が一杯詰まった場所が祖父の書斎です。
 そんな場所に、その“薬?”が隠されていてもおかしくないと思っていました。

「それはいったい、どんなものなのだろう?」

「目の薬を、爪に施しても効き目があるとも思えないし・・・」

 こんな風に考えると、ますます不思議が膨らんでくるのです。

 今残っている“迷信”や“言伝え”の中からも見つけられない、祖父の“おまじない“。

「祖父が元気なうちに尋ねておくべきだった・・・」
と、後悔しています。

 民間療法・言伝えなど、ムカシの知恵はさまざまな形で存在し、今でも私たちの生活の中に溶け込んでいるはず・・・
 考えてみれば、昔の知恵をもう一度見直すと、面白い事が発見出来るかもしれません。

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「そらあるき」 
【2008/01/16 Wed 23:26】
雪の降る季節、子供たちは部屋の中の遊びが増えます。
私の幼い時、カルタやトランプあそびはお正月からずっと続く遊びだったように思います。
そんなある時、祖父から“あぶりだし”を教えてもらいました。 祖父は私に何も書いてない白い紙を見せ、そして横にある火鉢の火で炙り始めました。 すると、火に当たったところから次第に文字や絵が浮かび上がってきたのです。 私は不思議でたまりませんでした。 みかんの果汁で書いた後乾かし、火鉢の火で炙ると現れる、と、祖父から聞いた私は、この“あぶりだし”で手紙を書いたり、よく遊んだものです。

この部屋の中の遊びは、身体を動かしたい子供には不完全燃焼起こしかねません。 そんな時、子供一丸となってする雪遊びは、思いっきり身体を動かす事が出来る楽しいものでした。 昔の北陸の雪は、子供たちが十分楽しめるくらいよく降り積もったものです。 地区の子供が声を掛け合いながら仲間を集め、雪遊びに興ずるのです。
雪合戦、かまくら作り、雪だるま、そり遊びなどなど、、、
そうそう、落とし穴も作りました。 時々、大人が落ちることもありましたが、そんな事でめげない昔の子供たちでした。
6年生のお兄さんを先頭に作る雪だるまは子供たちの背丈以上、皆で力をあわせて作りました。 汗びっしょりになりながら転がし続けた雪だるま、それは公民館の空き地に飾ります。 顔を作る炭やぼうしのバケツなどは、子供たちがそれぞれ持ち寄るのです。 この大きな雪だるまは次から次と降る雪で一段と大きく成長し、しまいには“かまくら”に変身して、また子供たちを楽しませてくれました。
大人には大変厄介な雪だったと思いますが、私たち子供には楽しい遊びを与えてくれました。 全員無邪気に一生懸命遊んだものです。

もうひとつ、子供たちには楽しみがありました。
それは『そらあるき』です。
よく晴れた寒い朝に、高く積もった雪の上をそっと歩くのです。
雪の表面がカチンコチンに凍って、「ゴボ」らずに歩けるのです。
私が子供の頃は、川の位置もわからなくなるほど降り積もりましたから、「ここから田んぼ、ここが川の位置」と言いながら、この銀世界を何処までも歩けました。
この朝、子供たちは誰一人道を歩くものはいません。 わずかな時間しか味わえない「そらあるき」を精一杯楽しむのです。
『そらあるき』 なんだか別世界に入ったような愉快な気持ちになったものです。

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テーマ:**暮らしを楽しむ** - ジャンル:ライフ

かきぞめとお年玉 
【2008/01/02 Wed 15:02】
お屠蘇・お雑煮を頂き、辻占で今年を占った元旦をほろ酔い気分で過ごし、一夜明けた新年2日目の私は、箱根駅伝TV観戦からスタートしました。 また今日は、全国各地で書初め大会が行われる日でもあります。

ムカシは「この日にお習字をすると字が上手になる」と言われ、毎年祖父の横で書初めをしました。 座敷の畳が汚れないように新聞紙を敷きつめ、まだ寒い朝の空気の中で静かに墨を刷りはじめます。
「今年の課題は、、、」
この日の書初めは、新学期直ぐにある学校での書初め大会、その課題の練習にもなっていまいた。 私たちは新聞紙で何枚何枚も練習した後、清書します。
寒さをこらえて取り掛かる書初め、私たち子供には楽しみもありました。 それはこの書初め作品は、子供たちの「お年玉」に換わるのです。 近所の家にこの書初めを届けると、子供たちはお年玉を受けるという習慣がありました。 地区の家一軒一軒書初めを届け「お年玉」を頂くのです。 私たち子供はお年玉ほしさに、何枚も何枚も書いたものです。 届けられた書初めは、左義長が執り行われる日まで各家庭の部屋を飾ります。 それは子供が中学生になるまで続きました。

朝早くからの書初めは寒くて辛い思いをしましたが、皆、お年玉が楽しみです。 この日の午前中は、子供の「おめでとうございます。書初め持っていました」と言う声が各家庭で聞こえます。 近所のおじちゃんおばちゃんから頂くお年玉、当時の「お年玉」にはみかんと福梅(金沢の伝統菓子)が必ず付いていました。 お金の入っている袋と両手一杯のみかんやお菓子を抱え、私たち子供は「お年玉の量」をよく競ったものです。

今ではもう見られない、このおおらかな風習、当事の子供たちにお金の大切さを伝えていたようにも思えます。

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おもちつき 
【2007/12/28 Fri 16:01】
新年を迎える準備、28日は餅つきの日。
先日の記事「障子の張替え」に頂いた、“うたちゃんさん”のコメントにもありますように、我ふるさとでも9の付く日を避け餅つきをしました。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      29日以外の日に 餅つきをして
      (9がつくと苦もちとかいって縁起をかついでいたんですね)
      母なんか 白いかっぽうぎを着て こまめに動いて
      子供もけっこう役に立っていましたよね
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母たちは朝早くからカマドに薪をくべ火を起こし、釜に湯を沸かし、前の晩より水につけておいたもち米の入った蒸篭(seiro)を釜に乗せ蒸し始め、その間手水を準備したり、餅折りをセットしたり、餅つきの準備をします。
杵を振るのは祖父や父。 振り下ろす杵のタイミングを見計らって、手返しをする祖母や母たち。 その間合いは一定間隔に取られ、餅つきの姿はまるで機械仕掛けのように見えました。氏神様、お寺にお供えする分も含め、祖父たちは交代で杵を振り続けます。
出来立てのお餅をお雑煮用にのしたり、お供え用に丸めたり、大人たちはまるで魔法の手を持っているかのように次々と餅を操り作っていきます。 私たち子供も見よう見まねで手伝い?をしました。 餅とり粉が少なくて餅が手から離れなくなったり、逆に粉が多すぎて丸く纏まらなくなったりと、マトモな形にならないものを作ったこと思い出します。
黄な粉餅や餡子餅・おろし餅など、出来立ての餅を味わえる事の出来るこの28日は、私たち子供にとってたのしみな一日でもありました。

当事の我が家のお鏡餅は “けらば”と言い、そのカタチは相撲の行司が持つ軍杯のような形をしていました。 30センチくらいの平たい棒(しゃもじのようなカタチ)を芯にして、2升の餅を軍杯状に整えるのです。 この“けらば”作りは、なぜか祖父の役目でした。
そして30日に、奥座敷とおえの間にある柱、真ん中に位置する柱(大黒柱)の一番上(天井近く、高さ2m50cmあったと思います)に吊るすのです。 大黒柱に吊るす”けらば”のカタチを安定させるために、28日に餅つきをする必要があったのかもしれません。
この“けらば”は、家の新築後姿を消し、以降、今の形「ふた重ねのお鏡餅」に変わりました。

なぜ、この”軍杯”のカタチなのか?なぜ“けらば”と呼ぶのか?
思えば不思議でなりません。
“けらば”をネットで調べると、なんと“けらば”は「建築用語」の括りに表示されるではないですか。 ますます解らなくなります。
もう少し調べると、、、
      9月:稲のけらばと農休み
      右は見事に積まれたけらば(稲の大にお)・・・・
          参照:江戸農書より
と、“けらば”という言葉を発見しましたが、これ以上は不明でした。
しかし、この鏡餅のカタチ&呼び方、北陸地方の農家独特のものであると想像できます。

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